滅亡日記




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[10] (無題)

投稿者: tek 投稿日:2017年 7月18日(火)09時53分30秒 14-133-116-127.nagoya1.commufa.jp  通報   返信・引用

<石について>




 石はどこにでもあり、しかし一つとして同じものはない。
 固く不変的なものとして、生命や肉体の反対に位置している様でありながら、「君が代」のさざれ石の様に成長することもある。通常「石の文化・西洋」/「木の文化・日本」と対置されがちであるが、日本でも様々に石が用いられ、興味深い石の文化を育んできている。全てが石造りとなった西洋中世の都市の様に大量の石材が集中的に使用されるということはほとんどないが、ある特異点としての極めて重要な働きを石に託してきた。
 他の個所でも指摘しているように、象徴論的「石」の使用は、他の素材、、、例えばその対極的な性質の変化生成する一過性の「生身、植物、泥など」と対になって用いられることしばしばで、他の素材との総合的な関係性のもとで石の意味を考えて行かなければならないだろう。

 まずはその「石」の物理的特性、そしてそこから派生してくるところのイメージ・精神的特性を摘出してみたい。



1・石の性質

 ・固い
 ・変わらない、動かない、腐らない、燃えない、不変性
 ・何処にでもある
 ・同じものが無い
 ・様々な大きさ、状態がありうる
 ・塊を持った存在物
 ・形状の特性―ある種の塊、球状、棒状、何か具体的イメージに類似した形
 ・重さ
 ・割れると鋭利な形状になりうる
 ・様々な物質が混ざり込んでいる
 ・内部への吸収性
 ・無意味、無内容
 ・地中や山の一部、骨格として



2・実用的例/象徴的例

 原始時代から現在までの様々な石の用いられ方は、全て上記の石の性質に立脚されていると言えるだろう。
 その硬さや鋭利さは様々な石器―道具の重要な素材となった。石つぶてや矢じりの先、石斧、石臼として獲物を刺し、肉や植物を裂き、穀物を細かく砕いた。時に火打石として火をおこしもしただろう。
 その硬さ、重さ、恒久性は、何らかの構築物の土台となり、素材となる。また何かの「しるし」とされ空間に配される。そのような性質は現在までほとんど変わることが無い。
 ところで、固さ―不変性は、象徴的力を起動させ、何らかの聖性をも付与していくこととなる。
 うつろいゆく自然界、生命の世界において、動じず変わらないもの―石の性質は、それだけである種特別な存在となる。「しるし」は、いつまでも変わらない、気分や個人の意見や趣向や生命の寿命や天候に左右されえないものとして、村境や生死の「境界」や何らかの重要な起点―礎石、シンボルとなる。
 石の不変的な性質はそれ自体「モニュメンタル」なものであり、機能としての特性が、そのまま象徴性をおびたものとなり、「石」ほど実用性と象徴性が重なってくる素材は少ない。獲物や敵を倒す武器は、その力と権力の象徴となり護符となる。壁や境界に置かれるしるしは、「領域」を規定し守護する「境のカミ」と重なるだろう。死者を埋葬するしるし・墓は死者の存在や権力の象徴ともなる。
 そうしてしだいに実用性から離れ、純正なモニュメント―シンボルとなるものも多い。それは造形芸術のルーツの一端となってきたことは先述してきたとおりである。
 そこから転じて石材の使用が逆に象徴性の、芸術の記号となってくるわけである。わざわざ石を使用しなくともいい部分にまで、重量のあり手間のかかる石材を用いることにより、時に実用性を犠牲にし、実用以上の何か、別な次元を表現しようとすることになる。


3・自然な塊として

 何処にでもある特に珍しくない石ではあるが、逆に特殊な場所や特殊な形状、大きさ、特殊な在り様、特殊な由来によって、聖別され、それ自体神聖視されることがある。そもそも自然神を祭る拠り所となるのは、山や森の岩―イワクラであったり、あるいは特別な岩自体が御神体そのものとして神社に祭られていく場合が多い。
 このような石そのものが聖化される場合、加工はほとんどされない。ただ注連縄がまかれたり、鳥居や祠が立てられたりする。小乗仏教のミャンマーでは聖化される岩にパゴダが建てられる。

 石はカミが依りつき、依りしろとなりイワクラになるように、様々なものを吸い寄せ、その内部に吸い込むことができるようだ。芭蕉の句の「しずけさや岩にしみいる蝉の声」の様に、何かの音だけでなく何らか気配や霊力や意志や魂、念が吸い寄せられ、沁み込み、宿されることによって、御神体ともなり、魔よけともなり、不吉なものともなり、墓石にもなって、畏怖や供養の対象ともなるのである。

 石そのものの特殊な姿かたちに何ものかを見るという場合、例えば蛇のような姿が浮き出た蛇石や、特殊な「宝石」の類いなど、ある種の念や霊力が宿っているとされ、畏怖され、時に大切に祭られ、手頃な大きさであれば、お守りとして、装身具として身につけられながら有難がられる。
 ある特徴的な石―丸い石、棒状の石、穴空き石、何処か身体の一部に似た形状の石などを、豊作・子孫繁栄・安産祈願、耳や足や手やどこか悪い部分の治癒祈願を目的としてそれぞれ「奉納」することも多い。

 石そのものの自然な姿を愛でる、例えば「水石」などでは、その天然の生み出した姿かたちに大いなる自然―宇宙の姿・広がりを感じようとする。日本庭園でも自然石を用いるが、加工されないで天然のままの表情を生かす場合が多い。



4・削る―加工する―媒体として

 天然の自然石に対する聖視、イマジネーションがもとになり、最小限の手が加えられるという「原初的」でありながら、自然信仰文化圏ではまさにスタンダードな「造形表現」がある。この「表現のみち・おく」では再三指摘してきているところである。自然の広がりの中に何らかの意味を見出し―「人間化」、しかしそれを矮小化することがない。西洋近代的な造形概念とは異なる、「二重性」の造形文化の本質をあらわしているのである。背景の大いなる自然への回路が確保されている場合、その表現は大変強固なものとなる。

 縄文~古代初期、加工された石の信仰を示す例としては、穀物などを細かく砕くための道具としての、皿状の石と棒状の石がセットになって墳墓や神社に供えられていることがある。さながら男根型の賽のカミやコンセイ様(金勢さま)や道祖神、あるいは安産祈願などの穴空き石のルーツとも考えられる。もともと「そのような」特異な形状の天然石を見出して、最小限の人工的な加工を加え、イメージをより確かに導き出すといった様な部類の造形は、はるか昔の原始から近現在の庶民信仰の在り様まで頻繁に見出すことができる。これらの造形は単に稚拙で消極的なものということでは片付けられない、独特な表現性(二重性の造形)を生んでいると考えられる。
 縄文時代から古代にいたるまで我が国の代表的な装身具の一つであり続けてきた「勾玉」にしても、単なる加工品ではなく、そもそもの特殊で貴重な石の力がその表現の基礎となっており、加工はその力を引き出し固定するものとしてなされると言えるだろう。そう考えるならば高度で精緻な技巧を屈指する、現在のカッティングされたダイヤモンドなどの輝きとは質を異にしていると言えるだろう。

 もともと聖視される特殊な岩になんらかの加工を施す。その仏教版である「まがい仏」等に関しては既に考察したのでくりかえさない。いずれにせよこの種の加工は、もともとの(感じられている)石が持つ力・聖性をより顕在化させようとするものであり、作者のイマジネーションの素材として、天然の岩を占有しようとするものではない。
 また時たま目にする例として、小石に墨で文字を書き神社やお寺へ納めるという習俗がある。これは石がある塊としての物体であり、それぞれ同類でありながら別個の唯一無二の存在であるという性質をよく踏まえているように感じられる。ニュートラルな紙や壁を支持体とするのではなく、ひとつぶひつとつぶ異なる物体を支持体としメディウムとすることにより、文字はある種の「言霊」となって、実在性をおび、半永久的にものとして残され、地中や聖地に収められることにより、異界へ伝えられる。
 同じように、「言葉」を岩肌に刻むことはより一般的だ。自分の名、戒名を刻めば「墓石」になり、何かの神仏名や梵字を刻めば「石塔」になり、何らかの事績や歌など刻めば「石碑」となり、現世を超えて半永久的に、越境的にあるものごとを顕示し続けることができる。それは、「石」という半永久的な素材と一体化し、当事者の時空を越え未来や異界の時空へそれは伝えられ受け継がれていくのだ。墓石や庚申塔等の場合、その様な石を加工し、立てる(配置)こと自体が、供養であり、回向であり、信心の表明となるのであり、その意味でも「石」は時空を越えた支持体―聖性をおびたメディウム・媒体となることができる。
 刻まれたり書かれたりすることで何らかの意味―内容が投影されうるのは、「石」が元来「無意味」で「塊」で「不変的」で、、つまり外から何かを吸い寄せやすく、確かな実在物であり、そうでありながら現在の時空を超越しているという性質のなせるわざであるだろう。
 それらの特徴を合わせて観た時、「石」という存在が、本来の意味合いにおいて、大変優れた「媒体」であるということが理解される。*(後代の「彫刻」の「素材」としての石材のありようは、その形骸化したもの、キッチュ化したものであるとも解釈できるかもしれない)。



4・配置、並べる、積む

 加工による造形ではなく、自然石を置く。並べる。積む。などによって何らかの造形、表現を行なうこと。
 このような表現?も日本ではその長い歴史を通じて目にすることができる。

 一つの石を置く。漬物石ならばその形状と重さによる。境界石であればやはりその重さ固さの不変性による。
 その硬さはしばしば防壁として用いられ、敵を防ぐと同時に、かつては死後の世界とこの世の境を封じる防御壁にも使用されたと思われる。石は霊力を持ちまた悪霊を防ぐものというイメージが古くから伝えられてきている。それゆえ墓に用いられる石の意味には、実用性だけでなく、死者の「荒魂」を封じるという意味合い、悪霊から死者を守るという意味合いなどが同時に考えれると研究者は指摘している。石は耐久性を保証し、霊を封じる、また死者の存在、墓の位置、権威、鎮魂、供養の気持ちを「しるす」という多義的な目的に良くかなっていた素材であり、時代時代によりその色合いが異なっていたことが予想される。

 ところで複数の石を組み合わせる場合、西洋の様に、特定の形、大きさに加工してブロックの様に組み合わせて造形・建築するというものも無いわけではないが(壁、城壁、墓石など)、日本列島ではあえて自然石かそれに近い形で用いられることが多い。
 それは自然石の本来持っている霊力、あるいは天然自然の表情を最大限尊重しているからでもある。同種同形のユニットによる構築とは異なるものづくりのあり様が、そこに表れている様で興味深い。
 それは例えば縄文時代の環状列石、あるいはもっと後の日本庭園、枯山水などの石の姿によくあらわれているだろう。中世ヨーロッパの石造りの建造物の様に、何らかの幾何学的なイメージを石材によって再現したというものではなく、其々異なる形状の自然石が適材適所で用いられ配置されながら、空間としての全体が生まれてくるというものだろう。そこでの石は、人間的思惟を再現する単に恒久的素材としてではなく、依りしろでもあり霊力を孕んでもいるところの一個のかけがえのない存在物として、あるいは無限の天然自然を投影し具現するものとして、其々が其々に息づき機能する部分として存在しているように見受けられる。

 複数の石―地水火風空を象徴する石が積み重なって生まれる五輪塔の場合では、大体の場合其々に見合った加工がなされている(形態的、あるいは梵字の彫り込みなど)。しかし、加工する以前に、石を「積む」・「配置」すること自体が、回向であり功徳を積む行為として重要なのである(石灯篭なども同様)。
 日本庭園では、そのような回向とはやや趣を異にしながらも、それら石塔など加工された石の造形物を、天然の自然石などと上手に組み合わせ配置し、多層的な空間を作り出していく。

 複数の石が組み合わされているということからすると、その最も甚だしい例が所謂小石が無数に積まれ組み合わされる「積石」である。この場合の石は加工されていない自然なままである。古代の墓室から賽ノ河原の石積みに至るまでその例は広範囲に見られ、その意味や目的も謎が多い。身近な小石で何かを築くという原初性をとどめながら、築くこととはまた別な意味性も感じられ大変興味深いものがある。「積石」の項で詳しく考察している。

 「火打ち石」では、鋼鉄片と打ち合わせ接触させることで「火」を生み出す。新しく生み出される火は清浄な火として聖視され、何かの神事の際や外出の際では、火打石を打ち合わせて清浄な火をはなつ。それゆえ火打石自体も聖化されることになる。石の固さは、摩擦によって、「火」―「聖なる力」をも生じさせることができるのである。



5・代用(石による代用・変換)

 先述したように、石そのものがモニュメンタルで聖性のシンボルとなる。もともと石でつくられる事物はもとより、本来は石と無縁なものまでも、石によってつくられ、石でなぞられ、石に変換されることにより、普段の実用性から「ハード」方向に離反し、棚上げされ聖化されることになる(逆に脆弱な素材への変換―「ソフト」方向―という造形表現もあり、総合的体系的に考察していかなければならないことは別な個所で述べている)。この種の石彫表現は、先の原初的な石に最小限の加工を施す表現構造とは、その文脈を異にしているということができるだろう。

 そういう中で、日本では、肝心の神社―神殿が基本的には石でつくられずに、つねに木でつくられてきているのは注目に値する。一方で灯篭や狛犬はほぼ100パーセント石材によるものである。同じ象徴空間における造形であっても、石でつくられるものと、そうでないものがはっきりと分けられている。
 おそらく自然信仰にかかわる神社における木の使用と、外的な魔よけや死者にかかわる境界を守る狛犬や賽のカミ、墓石などの石の使用は、かなり意識的に分けられていたと考えられる。
 仏教系の仏像も木彫と石彫にわけられうるが、日本では圧倒的に木彫が優勢であり優れている。石彫の場合は先述の「まがい仏」の形態が多い。結局どちらも自然信仰の色合いが強く加味されている。
 例外なのは地蔵菩薩である。なぜか地蔵だけは石でつくられることが多い。研究者の指摘では、実は路上の石地蔵、六地蔵などは、もともと仏教以前の石による賽のカミなどが、仏教化して地蔵に置き換わったのではないかとも言われている。本地垂迹説でも地蔵菩薩の化身が道祖神ということになるらしい。
 だいたいの場合、まがい仏のスケールは大きいものであり、石地蔵は小さなものが多い。それはまず人体スケールではなく、岩や石の存在・聖性がまずあって、そこに「仏」のしるしが加工されたというものなのだろう。

 このような日本の事情―聖なる様式としての神殿、神像、仏像における、石よりも木の重視は、その後現在までの日本の造形美術にも大きな影響を及ぼしていると想像できる。つまり西洋のように人体を石像やブロンズにするという「変換」が、正規の「芸術化」として十分に機能しえないことが予想されるのである。日本における彫刻では、もしかすると石材では、本来の象徴機能が作動せず、例えば硬直しキッチュ化した嫌味な銅像、、、校長像や二宮金次郎像の様な、、ものにならざるをえないのかもしれない。今日に至るまで石材による優れた人体彫刻が、日本に少ないのは、そのへんの伝統的構造に理由があるのかもしれない。




6・その他

 上記の事柄を踏まえつつ、以下「その他」として、珍しい石の在り様を考察してみたい。
 偶然なのか必然なのか、いずれにせよ「石」というものが本来持っている性質が前提となって、結果的に興味深い「かたち」が成立している。



 まず左端の写真から。
 狛犬か稲荷か何かの動物石像の頭が壊れ、代用品と思しき石がのせられている。のせられている石はやや長い丸状の形態で、犬かキツネか何かの顔の形状を想起させる。
 ちょうど口のあたりにまるで口の様な切り込みが入っていて、それが加工したものなのか偶然もともとそうした石が選ばれたのかよくわからない。このような破損部を、周辺から持ち寄られたありあわせの石で補うというケースは意外によく目にする。天然石の頭部と、人工の身体部分は、切れ別れながら、ひとつにつながり、微妙なズレの感覚を発し続けている。見るものは表情の無い天然石の表面にそのあるはずの表情を観ようとし、その内側にその魂を感じようとする。むしろ下手な作為がかった彫刻がなされるよりも、何か不思議な広がりと深さを感じてしまう。
 その隣左から2番目の写真も同様で、おそらく地蔵菩薩の頭が取れてしまい、代用品として球状(カボチャ状)のなにか(おそらく何らかの加工された石)がのせられている。足の部分には石片がいくつかおかれ、もしかするとこの石片がもともとの地蔵の顔だったものかもしれない。顔がなく、表情がなく、一種異様ではあるが、何か超然としたたたずまいで、こちらの内面を見えない目で観られている様なそんな気がしてくる。それは物理的な目ではなくて霊的な目なのだろう。目の見えない者が霊媒をよくするという古くからの習俗もひとつにはそのような感覚がはたらいていたからではないだろうか。
 左から3つ目は、おそらく灯篭か何かの屋根部分に天然の岩が組み込まれのせられているもの。人工的に加工された下部と上層の自然石の差が際立っている。なんでこのようになっているのか、破損して代用した結果なのか、はじめからこうなのかよくわからない。ただ普段加工された屋根のあるはずの部分に天然石がのせられているために、その天然石の存在感が大変大きく感じられる。
 左から4番目は、ミャンマーの聖地のひとつ。落ちそうで落ちない崖のはしっこに留まったままの巨石を聖なるものとして祭っている。もともとは天然の岩の自然な成り行き―ある珍しいひとつの「状況」があっただけなのだろうが、巨石の表面には金箔が貼られ、てっぺんにはパゴダがのせられるにいたっている。おそらく仏教的に「パゴダ化」され、この奇跡的な存在の仕方を敬っているのだろう。日本でも例えば榛名神社の巨石が有名である。岩山の上に乗っかった巨大な岩そのものが御神体となっていて、その下部に神社の社が建てられている。このように石の存在の仕方、その在り様の様が特異で、奇跡的な場合、その状況そのものが聖化されてしまうことがある。大きな物凄い重量のある巨岩が上空にとどまっている。ころがるはずが留まってあるという状態。その「状況」そのもの、それを普段の節理に反して留まらせているだろう何ものかの意志、力をそこに想起させるのであろう。ただこのような存在の仕方の不思議さというものは、スケールの差こそあれ、つねにありえるものなのであり、普段は見過ごされているのである。
 左から5番目最後の写真は、現代美術家関根信夫の作品である。ステンレス柱の上に天然石が取り付けられただけのもの。
 様々な作家的思惟による加工や、仏教的、神道的解釈を石にかぶせるのではなく、天然の石自体、その自然な在り様、様態の不思議、状況そのものを開示しようとするものだと推測される。もともとはいわゆる「もの派」的流れにあった試みだろう(その成功、不成功はさておき)。
 関根の場合、人為的手段に負っているわけだが、ミャンマーの石のパゴダや榛名神社の御神体の石の在り様と近いものがある様に思える。
 「石」という概念、普段わざわざ注視することのない「ただの」石ではなくて、本来の「他者」としての「石」そのもの、その存在―畏怖すべき存在としての「石」に触れる時、人はそれを聖別しようとするのではないだろうか。巨石や奇岩や、落ちそうで落ちない奇跡的在り様の岩は、そのような通常の概念としての「石」を越えでていく契機を孕んでいるのだろう。
 これまで、現代美術でも、石は様々な様態で登場してきており、上述してきた石と日本人の付き合い方を踏まえて、あらためて考察してみれば、そこに多くの関連性が認められる。




[9] (無題)

投稿者: tek 投稿日:2017年 7月18日(火)09時51分58秒 14-133-116-127.nagoya1.commufa.jp  通報   返信・引用

ダダカン・訪問記


はじめに

 先日急に「ダダカン」こと糸井貫二さん宅に訪問する機会に恵まれた。
 ここ数日風邪をひいていて、「明日こそはゆっくり休むぞ」と思っていたやさき、関本さん(ギャラリーターンアラウンドオーナー)から連絡が入ったのだった。ついに三上さん(宮城県美術館学芸員)からゴーサインがでたとのこと。具合が悪いので自分は遠慮しようかと思ったが、虫の知らせというかなんというか、やはりこれを逃すと次は無いような気がしたので、いっしょにつれていってもらうことにした。
 今回段取りを組んでいただいた、三上さん、関本さんにはここであらためてお礼申し上げたい(さらにいろいろと事前にアドバイスしていただいていた高熊さん《書本&cafe magellan》にも)。

 もともと自分はあまり、なんというか、、「裸」というか、そういった種の「ハプニング、パフォーマンス」といわれるものに関心が薄かった。自分が美術をはじめたばかりのころ、昔、仙台「でも」デパートか何かで裸になってつかまった人がいたとかいなかったとか。そういう仙台「でも」あったという昔の「過激」な時代のはなしを聞いたことがあったが、「ふーん、、仙台『でも』そういう人もいただろうなあ、、あの時代は」というふうにしか思わなかった。今にして思えばその人こそ、今回訪問するダダカンその人なのであった。
 ダダカンこと糸井寛二さんこそ、日本の60年代「前衛」美術に異彩をはなつ先駆的偉人―異人なのであり、仙台「でも」の「でも」はちょっと意味が異なり、この場合は、仙台「でも」東京「でも」大阪「でも」裸になって問題を起こしたのは糸井さんその人なのであった(もちろん他にも当時は沢山の「露出」的担い手達がいたのだが)。近年再評価がはじまりつつあり、日本全国からはるばる糸井さん宅を訪問してくる関係者が増えていると聞く。同じ仙台にいながら完全逆輸入の知見だけで、自分自身もようやく遅まきながらうごきはじめようとしているのであった。



訪問・応接室

 2011年8月の大変暑い日。
 風邪なので、高齢の糸井さんにうつしたら大変とマスクをつけ、ターンアラウンドに集合する。関本さんや自分がなにも土産を用意していないことに三上さんが気付き、「途中で何か甘いものでも買っていこう」と車に乗り込む。コンビニでジュースとプリンをそれぞれ4つずつ購入。糸井さん宅はなにしろ同じ仙台市内の長町であるので、あっという間に到着する。「えッこんなに近いの」とは正直な感想であり内心小さな衝撃を受ける。こんな眼と鼻の先に「ダダカン」が住んでいたとは、、、。訪問中はちょっと写真撮影は不謹慎だろうなと思い、到着時にとりあえずご御自宅だけでも撮影しようとカメラを準備してシャッターを押す。と、フレームの隅に妙な人影を発見。眼と眼があってしまい思わず恐縮してしまう。なんとこの暑いさなか糸井さんは家の外で我々を待っていてくれたようだ(拡大写真参照)。
 ご自宅はとても味わい深い趣で、「いかにも」という感じ。その周囲のみ時空が歪んでしまったかのような、ダダ的オーラを発している。たしかに長町にはこんな古びた家が残っていそうではある。がそれにしても凄い。車から降りてまじかで眺めると、その古びて歪んだディテールが、実際問題ただごとではないレベルであることがわかり、またしても小さい衝撃がはしる。有名な「殺すな」の字をつけて走る写真は、この家の横の道で撮影されたものであると三上さんに教えていただく。とりあえず気さくにあいさつを交わした我々は糸井さんに招かれ家に入った。

 まず玄関わきの床の間のような小スペースが目に入る。丸い道路ミラーの割れたのを背景にオブジェが置いてありその先っぽに太陽の塔のフィギュアが乗っている。俳句の書かれた掛け軸がかかり、なかなか風情がある。その小宇宙をかすめて、我々はとりあえず左わきの「応接室」に通された。
 この部屋は何かの本で以前観たことがある今では有名な空間である。ペニスが描かれた奇妙な掛け軸や糸井さんの父の肖像画、マネキンの首、宇宙人ダダのフィギア(椹木さんがプレゼントしたとのこと)など、様々ないわくありげなもの達が高密度にゆるぎなくセットしてある。その空間の玉座ともいうべき場所に糸井さんがすっぽりと着席すると、ひとつの絵画の様な「ダダカン宇宙」?が出来上がる。ありがたいことに写真撮影どんどん大丈夫ということで、「ばしばし」撮影させていただく。この小宇宙の構図におさまる糸井さんはまるで置物のよう。

 三上さんは昔から何度も訪問してきている仲であるらしく(また先年ダダカンを扱った「宮城の前衛展」(宮城県美術館)の担当者でもあるので)、気さくに話をまわされながら、関本さんや自分の紹介をしてくれる。自分は画家石川舜さんの教え子であると紹介され、とても不思議な気持ちになった。三上さんによればダダカンの日記に何度も石川舜の名が出てくるのだと言う。自分の少年時代の70年代とダダカンの70年代がクロスしとても奇妙な気分に(*自分は小学生のころ近所に住んでいた石川舜氏の絵画教室に通っていた)。
 緊張している我々は、三上さんに即していただきながら、ようやく本日訪問した趣旨―仙台でダダカンさんの展覧会をしたい旨をたどたどしく伝える。
 「うーん、、、」と難しい表情をされなが、、、、、、、、、、「許可はします」、、「ただ自分は外にはもう出てはいけませんけどね。それでいいんならというこですが」と言ってくれた。それから「撮影した写真なんかも自由に使ってもらって結構です」とうれいしいお言葉。さらには「燃えてくるなー」と素晴らしい一言。まるで「あしたのジョー」みたいというか、ジョーと同じ時代なんだなあ糸井さんはとあらためて思う(糸井さんの場合世代的にはもっともっと上なのだが)。どなたかに贈っていただいたという当時(1971年)の少年サンディー(「ジョー」はマガジンだけれども)を見せていただく。「へんな」芸術特集として巻頭写真で組まれており、当時全盛だったクリストやアースワークの壮大かつ有名な作品写真と、ダダカンの写真が一緒に大きく掲載されている。現在の棲み分けが進んだメディアではありえない特集であり取り合わせである。
 親戚が美容院だった自分の家には、当時ほとんどのマンガ雑誌が膨大に送られ積層されていたのだが、幼年時代の自分も、この特集写真に眼を通していたような奇妙な既視感があった。
 糸井さんは、「@@@さんも亡くなられましたね―」、「@@@さんは今どうしてますかねー」と、三上さんと様々な当時からの関係者のはなしをされていたが、不勉強の自分は誰のことなのかまったくわからない。そういう糸井さんも既に90才を超えられているが、まだまだ元気なご様子。しゃべりも闊達でしっかりしている。まったく訛っていない。かと言っていわゆる「前衛美術家」や全共闘、学生運動家世代の過激なイメージにもあてはまらない、上品で自然なおしゃべりに心地よく時が過ぎて行くのを忘れてしまう。


「儀」

 そうこうしていると糸井さんは、「じゃちょっと、、、」とボソっと言って不意に立ち上がり退席された。

 ほどなくしてすっぽんぽんになって戻ってこられた。
 付けているものは唯一ペニスキャップのみである。
 自分の数センチ脇をしわしわの白っぽい裸がすれ違う。
 狭い室内に緊張がはしる。
 いそいでデジカメのシャッターを切る。ビデオの撮影は関本さんにまかせる。三上さんも真剣な表情でカメラをかまえる。先述のダダカン宇宙の玉座ともいうべき腰かけの上で逆立ちをはじめる。美しい垂直の逆立ちである。父の肖像やマネキンなど様々なセットと共にフレームに収まる。完全無欠な世界がここに突如現出する。
 あまりの近距離、あまりの唐突、あまりの自然さで圧倒され動けなくなる。先ほどまで会話し、なごんだ場を形成していたまさにその「日常」空間で起こった白昼夢。
 かえって自分が服を着ていることが申し訳なく、また不自然なことのような転倒した気分になり、正直いたたまれない気持ちとなる。本当に撮影させていただいていいのだろうか??

 人さまの前で、あやまったり、頭を下げたり、土下座したりするというのがある。足をなめさせられたり、踊らせられたりなど様々な屈辱的行為があるわけだが、今、突如自分の前で、一方的に素っ裸で逆立ちされてしまうと、かえって見えない強力な圧力が自分自身に押し寄せてくる。絶対的な負性、貸し借りでいえば、膨大な「借り」を一瞬に背負い込んでしまうような、、。
 そうしてその反作用としてこの目前で逆立ちしている90歳の肉体と精神がオーラを放ち尊いものとしてせまってくる。十字架に自らかけられたイエスのサクリファイスのごとく、、(後日観るこになる前年にとられたという映像「駄々っ子貫ちゃん」では、撮影者自身(竹村正人さん)もなぜかパンツ一丁になっていた。その気持ちとてもよくわかる。後述参照)。キリスト信者が自分達人類のために犠牲になったイエスと同様な聖痕の傷をもったり、自身の身体を傷つけたりというのもここにつながるのかもしれない、、。
 ここでは通常世界・人間世界の常識が突然静かに覆される。功利的、相互流通的な節理が破棄される。
 それはさながら大宇宙に投じられたちいさな一石のようだ。小さな小さな石つぶてではあるが、しかしそれはまぎれもない一個の確固とした存在なのである。たった一個の石ころが全宇宙の法則を相対化してしまう。動物的、生命的節理を超越した人間「精神」の力。この逆立ちする裸が世界の力学的関係をただこの一点において、すべて変えてしまうのである。ダダカンが全裸で逆立ちすることによって、かえってこの世界が反転されてしまうのである。膨大な人の世の歴史においてときたま光彩を放つ輝きがあるとしたらまさにそうした意志の力であり行為であった。この広い世界の片隅、極東の仙台の身捨てられたような古家の狭い一室で、このような唯一無二の聖なる儀式、ある種の人類的「冒険」が、精妙な配慮、高度な修練の上で、日夜行なわれ続けてているとは!
 おしきせのパフォーマンスではない。みせものではない。かといっていわゆる「ハプニング」といった偶発的意外性の行為とも言えない。いままでの「関係」の上で、成立していた「場」の上での自発的な「おこない」。場を無視したり御破算にしたりするのではなく、一種、聖火に火をともすような、献花を添えるような、、、。聖なる特別な場に変貌させてしまう、、こういうのは、、、つまり、、正真正銘のアーティストとしてのおこないそのものではないだろうか。


 逆立ちが終了すると、そのまますっぱだかでイスに着席。サウナかなにかから出てきてくつろいでる風のリラックスしたムードに(上記写真)。「今日は黒でしたね」と三上さん。ペニスケースの卵の殻の色が黒色だったことを指摘しているようだ。そういえばさきほどから自分の目のはじっこに色とりどりの小さな球体が、棚に飾りつけられているのが見えていた。そうかあれは卵の殻で、すべてこの「儀」に使用された使用済みペニスキャップだったのか!と今さらながら気付く。その後どのように卵を割らないように中身を空にするかなど技術的な話を伺う。



茶の間

 その後隣の茶の間に通されちゃぶ台に4人着席。
 ところせましといろいろなものが山積みされている。見るもの見るものかわっていてきょろきょろする自分。古いモルタルか何かが塗られた壁には、今までここを訪れた人たちの名前が直接壁に記載されている。竹熊健太郎、飴屋法水、椹木野衣、、、、椹木さんの部分の「椹木殺す」ってなんだろう?ぶっそうだなあと思ったが、「殺すな」の「な」の部分が隠れているだけなのだろうと後で気付く。 別な壁には奇妙なカレンダーがかかっている。ずいぶん前のカレンダーなのだが、日付けと曜日を切り取って場所場所で移動してある。1枚でずうと使える万能カレンダーとなっているそうである。また別な壁にはかわったフィギュア発見。6人組の女性。帰宅後撮影した写真を解析してみると「キャンディーズ」であることが判明。キャンディーズの「危ない土曜日」の「くるくる危ない土曜日」のポーズと、「年下の男の子」のポーズ。合計6体。誰かからもらったのかもしれないが、意外な組み合わせに驚く。が、ようく考えると、糸井さんの活動全盛期とキャンディーズは少しだけ重なっているのであり、イメージのギャップが大きすぎてくらくらしてくる。70年代という時代の表と裏の邂逅というべきか。
 また糸井さんは、「そういえば」ということで揚げ饅頭ほどの丸い石を見せてくれた。「最近見つけたものです。すぐそこで」。というその石の表面にはちょっとした凹凸がついている。後ろには糸井さん自身の筆跡で「ペニス 俳石 2011,3,9 拾っ 仙台 太子堂」というラベルが取り付けてある。大震災の直前に拾われたものだ。色といい形といいなかなか味わい深い。90歳過ぎた人間がこのようなことを日夜楽しんでいるとは、、。まるで子供のようでもあり、あるいはかの千利休が自分で竹やお椀を見立てているようだ。利休が見立てた物品はすべてただのものではなく、いわゆる「利休好み」として彼の思想が反映されていると言える様に、ダダカンが見立てた石はただの石には見えないし、おそらくただの石ではないのだろう。まあ言ってみれば「ただ」の石ではなく「ダダ」の石なのである。
 こうなってくるともっと奥の部屋がどうなっているのか気になり出す。もしかしたら奥はハイテク機器がならぶ「現代的」な空間になっているのではないだろうか?などと冗談で想像したりする。というのも糸井さんが現在の社会情勢など的確に把握なさっており、かなりの情報通であることがわかっていたので、どこにそのような情報源があるのだろうと思わざるを得ない。しかし廊下をはさんで向かい側の台所とふろ場が恐ろしく汚れており、この「仙人」生活がまぎれもない事実なのだと実感する。(*あとで聞いた情報によればやはり別室に地デジ対応型の新型テレビがあるという)。


 しばらくすると糸井さんは我々に自家製「卵ケーキ」をふるまってくれた。タイミングが合って機嫌が良ければもしかすると「卵ケーキ」をつくってくれるかもしれないよと、三上さんに教えられていたので感激する。糸井さん自ら等分に切って一人一人皿に盛ってくれる。この卵は今回使用されたペニスキャップの卵なのだろうか?という当然の疑問がわいてくる。自分の皿をようくみると、やはりと言っては何だが、、やや汚れておりきれいとは言えない。隣の台所の陰惨な様子など思い出したが気にせず食べる。とても素朴な味わい。「うまいですね」と言うと「そりゃーよかった」とすばらしい笑顔をみせてくれた。
 帰りは家の外まで見送りに出ていただいてしまう。うれしいことに糸井さんを囲んで、関本さんと自分の3人が玄関前で並ぶ姿を三上さんが記念撮影してくれた。


後日談

 その後、かなり後になって、訪問の折撮影した数枚の写真を同封した御礼状を出させていただいた。実は自分はあくまで付録でついていったということで、関本さんの方にお礼状の方をお願いしていたのだが、ダダカンさんから関本さんへ、返礼に送られてきた「メールアート」(ヌード写真をペニス型に切り抜いてあるもの)を見せてもらったからというわけではないが、今後のこともあるので、やっぱり自分の方からも出しておこうと思い立ったのであった。郵送した翌々日、速攻のは速さでダダカンさんからご丁寧なお手紙が送られてきた。
 手紙の最後は「我が庭にも十月の花咲いており」 草々 2011,10,11 としめくられており、小さな花が筆ペンのようなもので描かれていた。その他雑誌から切り取ったヌード写真が綺麗に折りたたんでいれてある。関本さんのものと違いペニス型にくりぬかれていなくて、つまりただのヌード写真なのだが、とにかくダダカンさんの御親切に感激してしまう。

 そのようなことと前後して、仙台で神戸の竹村正人さんという方が撮影した映像「駄々っ子貫ちゃん」の上映会があった。
 2010年撮影ということで、ちょうど今回自分たちが訪問した1年前の糸井さんの姿が映し出されていた。同じ家の同じ部屋で同じような年齢差の新参者による訪問映像なので、先日の自分たちの時の訪問とダブって見え、ところどころ自分の中で区別がつかなくなってしまい眩暈を感じた。長時間にわたりとてもよく日常?的な糸井さんのもてなしの姿がよく記録されていてとても面白かった。自分たちの時とある部分は完全に同じであり、ある部分は微妙に異なっていて、自分たちの訪問についてあらためて冷静に省みる良い機会ともなった。二つの訪問を通して浮き上がってくるダダカン・糸井寛二像の印象は、ますます驚異的なものとなり、ますますこの人物に興味がでてくるばかりか畏敬の念をおびるようになった。そしてようやくいまさらになって「箆棒な人」(竹熊健太郎)、「戦争と万博」(椹木野衣)などの先行文献を読んでみた。今回の場合、自分にとって知識は完全に後付けとなったわけだ。


ダダカン・糸井貫二の実像

 「戦争と万博」におけるダダカン像は、関東大震災や太平洋戦争、大阪万博など日本の繰り返される大きな歴史軸の中でとらえられたものだった。当然それは今回の東日本大震災と繋がってくるので興味深いものだった。今回のこの未曽有の災害・反社会的アナーキズム的状況・ダダ的状況において、四たびその真っ只中にダダカンは存在していたわけだが、逆説的にいつもどおり半裸で悠々と「日常」を続けていたようである。
 「箆棒な人」におけるダダカン像は、思いのほか(といっては失礼だが)正統な意味において、大変優れた内容であるように思われた。さすがはあの「サル漫」の竹熊健太郎である。糸井さんの希有な特質をよく救いあげている。特にインタビューで登場してくる宮城輝夫や豊島重之のダダカンに対すマトを得た、温かい視線がすばらしい。当時から実はこのような一部の人達にちゃんと理解されていたのだなあと思うと、昔の仙台もなかなか捨てたものではないと思えてくる。「今日ダダカンが来るみたいだよ」(豊島)と期待?する当時の仙台での展覧会場の気分を語っているが、それは何と魅惑的なことだろう。だが一方で、自分たちが訪問した時語った「もう自分は外に出て行けなくなった」というダダカンの言葉を思い出さざるをえなくなる。そして、その意味がどういうことなのか、どれだけ寂しいことだったのか、ようやくしみじみと悟ることができた。
 いつなんどきどこからともなく現れる「ダダカン」が存在する街。それはまるで「仙台四朗」のようでもあり、あるいは芸術の神・ミューズのようでもあり、または天使のようでもある。そのような「前衛の妖精」を失った後に、はじめてその価値と喪失に人々は気付くのかもしれない。

 先述の神戸の竹村さんの映像記録で、有名な東京オリンピック時の疑似聖火ランナー事件に関して語るダダカン自身の言葉が印象深い。
 東京オリンピックでの聖火ランナーが福島県あたりを走っているのを観て、その聖火が何とも美しくて感動し、いてもたってもいられなくなってしまい、ある意味突発的に行動に出たとのことのようだ(電車が聖火ランナーを追いぬいて自分の方が早く東京に到着し、本物の聖火ランナーが走る前に東京・銀座を走ってしまうことになったという)。
 ある意味、機関車を追いかける昔の子供のようでもあるが、そこになにかとても本質的なものを感じる。
 オリンポスの山からはるばる聖なる火が日本・東京にもたらされる。聖火はオリンポスの神々の分身であり、神聖なものである。それが東京に届けられるということは、オリンポスと東京が繋げられるということであり、東京がオリンポスの光栄に与るということであり、オリンポスの神々に祝福されるということである。火をもたらし灯すとは、たぶんそのような象徴性をもっているのだろう。
 これはつまるところダダカンの本質的な部分と重なってくるような気がする。
 ある場所にどこからともなく突如出現し「儀」を行なう。場やそこに連なる人々に花を添え祝福するかのうような、、。それは聖なる火をもたらし灯すことととても近似しているように思える。
 ある種近代オリンピックの「ショ―」であり「役者」であるところの聖火ランナーを追い越して、ダダカンがその「場」へ祝福に出現する。
 もしかすると、ダダカンの方が本物で聖火ランナーの方が偽物なのではなかったか。
まるで裸のダダカンとは、この場合、古代ギリシャの神々に捧げられる祭典さながらではないか。

 その意味でも同時期に活動していた、例えば秋山祐徳太子の「ダリコ」などとはレベルが違うのである。秋山の「ダリコ」は、普通の意味で、オリジナルである「グリコ」のパロディーとなっている。オリジナルが架空のキャラクターで、パロディーの方が生身の人間になっていて逆転しているところが面白いと言えば面白いのだが、結局、「ダリコ」と胸に大きくダジャレ的な字が記載され、ドタバタ的な「ノリ」の良い面白さにとどまらざるをえないように感じられる。
 一方ダダカンの聖火ランナーは、一見無計画なもののようだが、単なる聖火ランナーのパロディとして片付けられるるものではなく、むしろ聖火ランナーそのものの本質、その「ランナー」の起源にむかっているように感じられて仕方がない(それはある意味で「グリコ」の「ゴールイン・ランナー」のその起源でもあるところのものである)。オリンポスの神々に捧げられた全裸の肉体。その供宴としてのスポーツ。あるいは聖なるメッセージ・灯を自身の肉体に乗せ、命がけで共同体へ運んで行く、媒介者としての「マラソン」ランナーという存在。

 研究者の考察では、ダダカンの場合つねにほとんど単独行動なのを特徴としながら、先行する他のなんらかの出来事に触発され、それを媒介として彼の「行為」が生まれているという。
 例えばこの「聖火ランナー」や太陽の塔・「目玉男事件」の「ハプニング」、あるいは他人の展覧会場での出現などの事例はそれを物語っている。ゆえにつねに偶発性を有しており、他者に触発されていながら、同時に衝動的である一方で、大変自発的内発的な特徴がある。それは状況を御破算にし狂わしてしまおうという種の、計画的、意識的、反逆行為、、あるいは意図された「でたらめ」行為、無意識・偶然性としてのハプニング行為とは真逆にある。
 むしろある状況に触発されながら、その状況に全身全霊で参画し、彩りを添えるかのようなものだろうか。

 ダダカンの場合、「ダダ」と言っても、「反」社会「反美術」ではなくて「超」社会「超」美術なのであり、歴史的なある状況の反動としての行為ではないのだ。歴史的事象に触発されはするが、結果的にそこに現出されてくるいとなみは、繰り返される歴史を貫き、つきぬける、行為以前の行為・始原の行為ともいうべきものなのではないだろうか?

 例えば「ゼロ次元」などでは、「社会をゼロ次元に導く」ための計画的な反社会、反モラル的活動を展開していく。彼らにとって裸体はそのゼロ的反社会行為の必要不可欠な「武器」であり、効果的演出の優れた道具であったと言える。ヨーロッパ・ダダイストのアナーキズム的活動に、肉体・裸によって呼応しようとする。いわば肉体のダダである。
 一方先述の秋山祐徳太子では、彼自身の言葉によるならば、アメリカ流ポップアートを生身の肉体でなぞろうとするものであり、「動くポップアート」、つまるところ肉体のポップである。ポップ化=民衆化=自分の生身化という感覚で、例えば東京都知事選出馬もそのような観点から言えば「ダリコ」と繋がるのである。

 このように海外のラジカルな美術的動向を、自身の「肉体でなぞる」というのは、ひとつ日本の前衛の特徴であろうか。(肉体のほかに、例えば「未加工の物質」でなぞるというのも結局どこか同質な構造にあるように思われる)
。肉体でなぞることによって、肉体というある種の自然物の介入を許し、結果としてもとのものとはぜんぜん別なものになっていくように思われるし、時として、裸になりさえすれば過激でラジカルで前衛になるような安易な錯覚に陥ってしまう。


 そうしてみると「ダダカン」の身体・肉体性は少々趣が違うように思える。
彼は自身の肉体で先行するどのような美術、ラジカルさをなぞろうとしたのか?という問いはちょっと当てはまらないように思える。


 彼の特異さは、近年ますます際立っている様に思われる。
当時の他の前衛アーティストのように、後に「偉い美術家」としてふるまったり、その延長で美術史に回収されるのではなく、あるいは美術から離れ、忘れ去られながら社会人として社会に回収されるのでもなく、、、前衛の時代が終わったはるか後の21世紀の現在、今なお、仙台の片隅で、同様のいとなみを、ただ一人で、とりわけ誰に見せるというふうのものでもなく、繰り返し続けてきているのだ。

 もしかすると、「ダダカン」という命名は、とてもインパクトがあるのだが、美術史における「ダダ」的語感が強く出過ぎてしまい、彼の本質を見誤らせてしなうもののようにも感じてくる。ダダに固執すると日本的な「特殊なダダイスト」という捉え方におさまってしまいかねない。もしかすると、ダダカンではなく「ただのかん」、「タダカン」でよかったんじゃないのだろうか?などと、かってに思いを巡らせてしまう。
 ということで、60~70年代のハプニングやパフォーマンスのただのひとつも実地で見たことがない世代の自分が、憶測の上に憶測を積み重ねるように考えてみても、何とも判断しかねるのでこの辺でやめにしておく。





[8] (無題)

投稿者: tek 投稿日:2017年 7月18日(火)09時49分36秒 14-133-116-127.nagoya1.commufa.jp  通報   返信・引用

<積石>



 はじめに

 子供のころ、神社などで狛犬や灯篭に小石を積んで楽しんだ。
「石をのっけて、次に来た時まで落ちなければ、健康でいられる」、、、というふうに親戚から教えられた。当時の自分は、なるべく安定した場所に小石を積もうと努力した。うまく積もうとして他の誰かの積んだ小石を誤って落としてしまったり、今自分が拾って積もうとしている当の石ころも、以前誰かが積んで落ちた小石かもしれないと思ったり、そもそも自分が積んだ石が、次来た時にそれだと区別することができるのかどうか?などなどいろいろと考えさせられ、とても奇妙な心もちになった。
 このような神社やお寺、何か特別な場所、賽ノ河原、聖地、観光地などで繰り広げられている「石積み」は、現在に至るまで絶えることなく、広範に観られるものだ。そうして、その意味やルーツがまだよくわかっていない。同時に、ほぼかならず誰もが経験している大変身近な「行為」である。長い間自分はこの石積みにとても興味を抱いてきた。以下考察してみたい。




1・石についての特徴

 まず先述の「石について」でも挙げている石の基本的特徴を以下再び列挙しておく。同時に「積石」の基本的特徴を続けて列挙する。この小石による「積石」文化は、先述の「石」をめぐる文化を踏まえながら考察される。


<石の性質>

 ・固い
 ・変わらない、動かない、腐らない、燃えない、不変性
 ・何処にでもある
 ・同じものが無い
 ・様々な大きさ、状態がありうる
 ・塊を持った存在物
 ・形状の特性―ある種の塊、球状、棒状、何か具体的イメージに類似した形
 ・重さ
 ・割れると鋭利な形状になりうる
 ・様々な物質が混ざり込んでいる
 ・内部への吸収性
 ・無意味、無内容
 ・地中や山の一部、骨格として


<積石の性質>

 ・複数の小石の使用
 ・小石の積み重ね
 ・不特定多数による継続的な行ない
 ・積むという行為性の重視
 ・終わりの無い現在進行形
 ・場所性
 ・重力
 ・積む/築く/埋める/覆う/塞ぐ/つくる
 ・意味の多様性





 2・賽ノ河原の回向(混在文化)―サクリファイス

 代表的な「積石」の例としては、「賽ノ河原」の石積みがまず最初に思い当たるかもしれない。
 賽ノ河原とは一種の三途の河原であり、この世とあの世の境に流れる河原である。多くの「霊場」のどこか、、河原への道、洞窟、山頂などの広い領域において展開されることが多い。基本的には「境界」領域で、しかも小石が豊富にある場所に想定されている。
 一応の意味としては賽ノ河原の和讃などでおなじみなように、幼くして死んだ子供が親のために回向として積む石積みを、そのつど地獄の鬼が崩してしまい、際限なく石積みを繰り返し続ける。が、やがて地蔵菩薩が救済しにやってくるというもので、仏教的な意味合いが付されている。
 「回向」とは、自身の善行が他の別な場所、誰かへの功徳につながっていく(向けられ回っていく)というもので、あの世の死んだ幼子とこの世の母が相互に其々を想い、この境界領域で回向の石積みをするということだろう。この場合、仏教なので、石積みはあくまでも「仏塔」を築きあげることを目的としている様である。つまり寄進で灯篭や仏塔を建てて功徳を積もうとする行為と同列であるわけで、西洋で言えばサクリファイスとして、宝物や神殿や神像や芸術作品を寄贈するのと同じである。それが、ありあわせの小石で、直接自分の手で築かれようとし、つねに鬼に崩されるので、半永久的にサクリファイス的行ないを強いられるわけである。まさに河原の石の数の様に際限がない。見ようによっては、作っては壊れ作っては壊れ、つねに自然に帰してしまう人間の業を見ている様でもある。
 ただし今日このような仏教的な意味づけで納得してしまえる者はほとんどいないだろう。なぜならば現在でも石積みは行なわれるのであり、多くの場合、賽ノ河原の物語とは無関係に繰り返されている。そうしておそらくこの習俗は仏教以前からあり、また仏教以外の広範囲な領域で見られるものでもある。




 3・墓―封じる/隠す

 ある研究者によれば、そもそも「積石」の起源は、死体を埋葬する時の「原始葬墓制」の習俗に由来しているのだという。かつて多くの地域では風葬によって埋葬され、死体は一時的に石積によって遮られたという。洞窟や穴の入口を積石で塞ぐのである。腐乱した死体を一端隔離するのは、衛生的な面からも、感情的な面からも、死んでまもない「荒魂」を鎮めるという霊的な意味からも必要とされた。一定期間隔離されて白骨化した遺体は、あらためてしかるべき場所に埋葬(改葬)され「和魂」として以後敬われた。
 その様な習俗の残存形態が現在の洞窟などでみられる賽ノ河原の石積みであるという。
 神話レベルでは古事記の中で、イザナギの黄泉の国の道を封じる石積みにその端緒が象徴されているとする。
 その真偽や普遍性はともかくとしても、死者や悪霊への恐れを封じるための石の使用―積石―というニュアンスは確かに原初レベルでは重要に思える。かつて人類は死や死者や荒魂や黄泉の国を恐れ畏怖したのであり、例えば縄文時代の「屈葬」-死体を折込んで壺などに詰める(場合によっては縛って大きな石がのせられていた形跡もある)もその表れだとする。 石には元来霊を封じ込める力があるとされ、石器時代以来、死者の埋葬には石が用いられることになっているのだろう。
 さらに言えば、霊を封じる力―霊力のある石は、おそらくひとつぶひとつぶ行為が積み重ねられることによって、より強く発揮されると感じられてきたふしがある。小石の使用は単に「手軽な」ということだけではなく、一回一回、ひとつぶひとつぶの行為性、願い、祈りが重層し、より多く込められやすいという側面もあっただろうと予想される。
 現在でも死者を棺桶に入れる際、蓋に「石」で釘を打ちつける習俗にその名残を観ることができるかもしれない。一回一回「石」で叩くことによって、箱を封印し、死者の霊を封じ鎮めようというのだろうか?



 4・境界性―境のカミ、

 このような原始葬墓制に由来するという積石は、死者の埋葬される場所―死者の世界―黄泉の世界―あの世とこの世の間―つまり「境界領域」で営まれることになったと類推できる。境界領域には石―遮るための石積が結びつく。
 これは村境の境界を守る「境のカミ」とも繋がることになる。境界を守るカミと塞ぐための積石が結びつく。賽ノ河原の「賽」は賽のカミにつながるとも言われる。境界領域での石積みと、賽のカミや道祖神などはどちらがもともとのルーツなのか?(おそらく石積みが先か?)不明ではあるが、それらはなだらかに繋がっている。
 「原始葬墓制」、「黄泉の国の遮断」、「境のカミ」、、はいずれも原始自然信仰の内にあり、所謂仏教とは無縁であるというか、それ以前にルーツがあると考えられる。
 それが仏教化―国家仏教が庶民の暮らしにより根付いていく時代になって、別な意味合いが不可されてくると考えられる。








5・仏教―地蔵、仏塔、供養

 境界を封じ守る石の霊力は、境のカミや道祖神、シャグジなどにつながり、ついに仏教化し石地蔵に転化する、、と考えることができる。村境などに置かれる石地蔵、六地蔵や賽ノ河原で活躍する地蔵菩薩、現在よく見られる水子地蔵などはその流れにあるだろう。場所によっては道祖神と石地蔵が共存していたりすることもある。これらの造形物に共通しているのが石でできているということである。村境に木彫の地蔵が置かれるということはまずない。それゆえ境界領域につきものの遮る霊力としての石―積石の性質がその本質に流れているのだろう。*(「道祖神」自体は石造以外にも例えば「藁人形」などがあり、穢れを村境から外へ放逐する習俗と、内へ侵入してくる穢れを封じようとする習俗が重層していて複雑でる)。
 仏教化してくると境界領域に(墓もふくめ)、お参りしたり、お供えをしたり、手入れをしたりすることが「供養」となっていく。供養とは何らかのものや行為や心を捧げることである。
 荒魂を畏怖し封じるための原始の「鎮魂」が仏教の「供養」に置き換わる。
 そこでなされる行為は善行を積む「回向」とつながり、地蔵を置いたり、地蔵に供えたり、仏塔を建てたりするおこないが奨励され定着する。もともとあった石積みの習俗と結びつき、先述の賽ノ河原の回向のような意味合いが、まわりまわって、「石積み」に付与されることになったと考えられるだろう。いわば、後発後付けの仏教的意味合いが、ブーメラン的に始原以来の石積みへ付着―再解釈されたわけであり、文化の推移の複雑さをあらためて思い知るのである。
 供物を供える―捧げることと、回向すること、また回向する行為としての仏塔を築くこと―石を積むことは、ほぼ同位であると言えよう。しかし先述したように、現在の我々がはたして仏教的なニュアンスの回向で石を積んでいるのか?あるいは原始依頼の鎮魂―封じるニュアンスで積んでいるのか?いずれとも違っている様に思われて、なおこの積石文化は複雑怪奇である。




 6・原始信仰(恐山、川倉地蔵堂にみる)

 ここで実地に青森県の恐山や川倉地蔵堂・賽ノ河原での石積みの在り様を観ていきながら、その複雑怪奇な様相を考察していきたい。

 このような霊場では、石によるあらゆる所作が重層並列してみることができる。
 通常の回向の様に積まれる石積みだけでなく、積んだ石積み自体が依りしろとなり、祈りの起点、対象物となり、亡き霊が投影される。時にそれは具体性を増し、亡き人の面影を再現したり地蔵になったりする。遺品である服やヨダレかけが取り付けられたり、手ぬぐいがまかれたりして具体性が増す。
 石の積み方もいろいろで、細かい小さな石がピラミッド状に集められ積まれる場合もあれば、大きな石が組み合わされ、その石の凹凸が亡き人の表情を再現したり、場合によっては一部加工されたりしている。また美しい模様の石が単体で立てられ礼拝の対象にされていることもある。石でつくった礼拝の対象物の前や上に、さらなる小石を積み上げて「供物」とするものもある。石が擬人化されるかと思えば、その横には石が供物とされ積まれ集めあれている。石は、置かれ、立てられ、積まれ、集められ、築かれ、つくられ、供えられ、、様々な所作に用いられている。

 このような特殊な霊場空間では、これまでこの列島で歴史上あらわれてきた様々な石に関する信仰形態の残存物が、折り重なり並列され融合し相互に混ざり合っている。創造と崩壊がまさに現在進行形で半永久的に入り乱れており、ある意味で大変「創造」的な空間であると言える。







 7・さざれ石―君が代

 ところで、「君が代」の歌詞にはさざれ石が大きな巌に育って、苔むしるまで永続繁栄していく様が歌われている。この詞自体は、古今和歌集に収められており、古い時代から祝賀の際などで歌われ親しまれてきたものだという。
 通常議論になるのは「君が代」の「君」がなにをさすのか?といったことが多いわけだが、ここでは「さざれ石」のありように関して少々触れてみたい。
 石が育っていくというのは非科学的であると批判されているらしいが、石がくっついて大きな塊になるということは、実際にある(長時間かけてのことだが)様だ。つまりその「さざれ石」とは、学術的には「石灰質角礫岩」と言い、石灰質が長い時間の間に溶け出して小石を結びつけ、大きな塊を形成したもののようである。
 君が代の大いなる苔むした岩が、このような小石のあつまった脆弱そうなぼつぼつでこぼこの「さざれ石」なのかどうか。やや意外な印象を受けるのだが、「君が代」のそれは、あくまでもただの「小さな石」という意味のようでであって、小石が大きな巌に育っていく、まさに霊的なイメージとしてあるらしい。
 ただし、小石が長い年月を経て複数集まって大きな巌になるのだという解釈をする説もあるにはあるそうだ。
 小石が集められ大きな塊を形成する様は、上述の「恐山」などでは良く見られる光景だ。ただしここではすぐにバラバラになって砕け散ってしまうのだが。
 しかし、よく考えてみれば、小石が無数に集められ、大きな塊を形成・維持し、植物である苔がまわりを覆うというイメージは、なかなか捨てがたいものがあり、いかにも日本列島の造形精神にかなっているように思える。
 一見脆弱なようで、切り別れつつ結びつく多層的な生動感に満ち満ちた「全体」。それこそまさに「二重性の造形」といえるだろう。
 国歌の中で、「積石」が歌われ、民族の理想像と「二重性の造形」(としての巌)が重ねられているとすれば、それはとても興味深いものである。



 8・穢れを祓い清める

 賽銭箱に賽銭を投げいれたり、葬式の野辺送りの際、時お金をばらまいたりする理由として、お金―貨幣に自身の穢れを吸いこませ、投げ捨て、穢れを祓い清めるためとする説がある。
 澄んだ池や井戸の水中にコインを投げ入れるのもその「穢れの浄化」作用につながっているのだという。
 そう考えると、この「石」も同じようにある種の吸収力を持っているとされてきたので、同じように自身の穢れを吸いこませて、祓い清めるために、ふたたび手にした小石を手放し置く、、、という解釈があり得る様に思える。
 つまり神社やお寺や聖地で石を積むのは、自分の穢れをそこに置いてくる―祓い清めるためであるという解釈。それはある意味で、冒頭の自分の幼少期の記憶―次来た時まで積んだ石が落ちなければ健康でいられる―という話とつながってくるものだ。それゆえか、積石周辺に散乱する小石が、既に一度誰かに置かれて―落ちた石の様な気がして、それをふたたび自分が拾いあげることに、ややためらいを感じた当時の心もちに納得する。それら「使用済み」の小石は、誰かの穢れが既に付いている計算になるわけなのであり、自然の石であって既に自然の石ではないのである。
 ただ賽銭と違うのは、賽銭は「投げられる」ものなのに、石積みは「置かれる」、「積まれる」ものである点だ。冒頭の自分の幼少期の記憶でも、「次来た時まで落ちないように置く」という、「いかに置くか」というのがひとつのポイントになっているのであって、なお検討を要する。それゆえこの石積みの習俗は、単に賽銭が小石に置き換わっただけということでは済まされないのである。
 *逆にこの石積みの習俗が、コインに置き換わったとしか思えない様な現象はしばしば目にすることができる(神木や巨石の溝にコインを埋め込むなど)。



 9・実存的解釈(今・ここ・自分)―縁をむすぶ・メディウム

 先述までの原始葬墓制、原始信仰、仏教信仰、それらの混合形態などとは別な角度から、石を積む行為の本質を考察してみたい。


距離をはかる

 例えば、自分の目の前に何か異質なもの、空間がある時、人はどうするだろうか?
 じっと見つめ、指でつっつく、なでる、つかむ、、、あるいはもっと危険性のある何かであれば、そばに落ちている小枝や小石を使って間接的に「調べ」ようとするに違いない。
 子供が犬の糞やカエルの死骸を小枝で突っついたり、池や沼に小石を投げ込んでみたり、河の流れに流木や葉っぱを流してみたりするところのもである。
 このような行為は、「他者」に対して自分との距離をはかろうとするもので、見えない裏側や内部を観ようとしたり、質感を試したり、水の深さや、流れの速さを体感しようとするのであろう。
 これは「他人」に対しても同じで、子供がじゃれたり喧嘩を吹っ掛けたりして相手との距離をはかり関係を形成していくように、大人が握手をしたりあいさつしたり何か問いかけたりするように、「他者」に対してのなんらかの行為が起点となって「交流」がはじめられるのである。
 「石積み」をこのような視点でとらえかえすなら、あながちそれほど外れてはいないことが理解されるに違いない。「他者」である神社やお寺の神々や祖霊に対して、簡単な挨拶をする。人間に対してのように言葉かけや握手のわけにはいかず、犬の糞の様に棒で突っつくわけにもいかず、池のように小石を投げ込むわけにもいかないので、何かを捧げる―供える―置く。供え物の時もあれば小石の時もある。とりあえずそこにある小石をひろって一定の場所に置くという行為。これはおそらく畏敬の対象である、ある種の空間―「他者」に対して行なわれるもっとも最初の行為であり、自分と他者の「ファーストコンタクト」の証なのである。


あいさつ・しるし・自己主張

 このようなコンタクトの行為は、「今・ここ」に「自分」が「参った・いる」という事実を主張しようとするだろう。ただなにもしないで、鳥居をくぐって出て行くのではなく、何か自分の「痕跡」をのこしていこうとする。自分が拾った石つぶては、ひとつとして同じものはなく、一個の塊の存在であり、そこに、それを選び拾い挙げた自分自身の「因果」を瞬間的に込めるのであり、その自分と「ここ」と「今」の因果を「もの」―証として「置いて」くるのである。
 「今・ここ」を強調するのが、そこの現場で手に入れる小石のありようであり、「ここ」のものを拾いあげる点が重要である。ただ、それは、高校野球で甲子園の土を持って帰ろうとしたり、何か当地の記念品を持ち帰ろうとする行為。あるいは「ここ」に来た「しるし」―記念に写真を撮ったりする行為(結局、それは視覚世界を切り取りコンパクト化して持ち帰り所有しようとする欲望と重なっている)とはその質を異にしている。
 拾った石は持ち帰られず、「ここ」にもどされる―場所を変えて―ある選ばれた位置に置かれるのである。けっして所有されることはない。
 コレクション化―所有とはおそらく真逆の回路にそれ(石積み)はあるのではないだろうか。
 一方で、例えば、ここに来た「しるし」として、あるいは道程の無事安全を祈って積まれる山頂のケアンは、この積石とかなり共通のものがある。
 「あいさつ」の様でもあり、「今・ここ」の「しるし」のようでもあり、しかし決してその「しるし」を所有しようとはしない。
 さらに比較すれば、それは供物を供える時の何か願いを祈願する心持とも、異なっていると考えられるだろう。
 願いを供物に込め供えるということよりも、もっと原初的なもので、願いや意味以前の、、「あいさつ」や「しるし」のようなもの。*(写真の「名刺」の供え物などは、端的な自己アピールであり、現世利益的な供物の奉納に近い)。



 9・後天的付加価値、新陳代謝、循環の輪の具現化

 石を積む行為は、先行する石の積まれ様に啓発され増進される。そこで石を積むことが、その空間―特別な場所―のシステムに参加した証となる。何も無い所でいきなり石が積まれる―無意味に―ということは通常皆無である。
 積石は既にある積石に習うのであり、そこに後天的に付け加える、積み重ねるのである。
 今、ここで自分が拾って置かれる石は、かならず先行する既に置かれた石を踏まえている。踏まえながら触発され、踏まえながら他にどの場所に石を置くのが適当か選択し(規定され)ている。そういうことからすれば其々の無数の小石は全てなんらかのかたちで因果律により結びつけられているのである。そしてこの因果律は終わりが無く完結することがない。つねに新たな「石置き」を呼び込み、システムを増大させ、またその吸引力を強めている。
 つまり石が積まれれば積まれるほど石を積むに足るものになっていくのである。
 このような後天的付加価値の行為が行為を呼び込む仕組みは、石積みにかぎらないことは先述してある(オミクジ結び、様々な供物の奉納、金箔貼り、民芸品の「なれ」など)。
 ただ石積みの場合いくつか特徴的なことが垣間見える。


 ・一つとして同じ石が無い。
 ・重力とバランスによって積み重ねられ維持されている。
 ・つねに崩れ、また拾われるので、膨張するだけではなく循環しているとも言える。


 特に重力とバランスにかなっていなければならないので、凹み、穴、溝、などのマイナス面は石が詰められ、プラス面はいずれ限度で崩れてしまう。総体として其々異なる小石同士による、無数の重力とバランスの因果律の総合体が形成されていく可能性がある(しかもそれは不特定多数の人間による積み重ねの結果なのである)。
 無理があれば崩れ、崩れた小石はまた拾われ置かれる。重力とバランスの理にかなっていればそこにとどまり続ける。それゆえ積み/崩れ/拾い、、、の循環構造が現出している点、この「石積み」のもっとも興味深いところである。他の供物であれば古くなれば、地に落ちて汚れれば破棄されることが多い。しかし小石は半永久的に無くならず、いつまでも拾われ、積まれ、崩れ、拾われの循環を繰り返し続ける。いわば重力とバランスという自然の摂理によって、たえず積み石が淘汰され、ある「飽和状態」に達するとその許容量を越えることはない。しかしその積まれている石の一粒一粒自体は絶えず刷新され続けていて、さながら細胞の新陳代謝を連想しさえする。
 新陳代謝―循環のサイクルの中で、重力バランスの「理」に基づいた石の積まれ様は、しだいにその精度を増し、結果する因果律の総体は、もはや偶然の産物とはいえず、単独の作者の思惟ではない、自然物とも人工物とも異なる、後天的付加価値特有の優れた姿を獲得していくのである。
 石積みの飽和点で、重力の理法の反映された「姿」が立ち現れる。その構成要素である小石はつねに入れ替わり循環し続け留まることがない。生成流転しながら現出されるその「姿」こそ、「循環する輪」そのものが具現化した、究極の造形―通常の造形よりも一段高次の「超造形」と呼ぶことができるのではないだろうか。


10・まとめ

 以上の様に「積石」は大変多様な側面が重層しており、様々な意義を見出していくことができる。石積みをながめるだけで、この列島の信仰・文化に関する長い歴史を辿ることが可能であり、始原の古層を今なお色濃く発し続けている。
 それは他者への交流の原型をみせ、封じる畏怖の衝動を思い出させ、サクリファイスや回向の在り様を反映し、また集める―築く―ものづくりの原型を垣間見せ、後天的付加価値を生み出し続け、その飽和点で究極の姿・循環するシステムを具現化するに至る。



11・付録―美術と石積み


 最後にこのような多義的な石積みを、一種の美術的アナロジーとして考えてみたいと思う。
 というのも、大学の卒業制作時、自分は、石を積むように絵具が塗れないものか、いろいろと試行錯誤していたことがあった。
 もちろん石を積むと言っても、先述の恐山等の賽ノ河原の様に、何がしかのもの―仏塔や依りしろや亡き人の像を形作ろうとするものもある。そのような場合の石積みとは、通常の文脈での造形行為と同様なものになっており、石はそのための材料でありメディウムとしてある。
 一方でいままでの考察がものがたる様に、それとは別の様々な意味合いや動機が、この石積みの習俗には秘められているわけである。
 時にはなぜ石を積むのか自分でもわからずに石を積むことになる。なんで絵を描くのか?なんで絵具をそこに置くのか?単純にそれが何かのイメージや形象や画面をつくり出すためとは限らないのであり、その根源性、多義性は、ある意味今まで見てきた石積みの位相ととてもよく重なってくると感じている。

 上述の考察に照らしていけば、まず回向―サクリファイスとしての石積みを美術において考えてみればどうだろうか。。
 作品をつくる。絵を描く。絵具を塗る。タッチをそこに置く。それが自己を捧げようとすることであり、労働力と時間と手間と絵具という物質を捧げることであると考えるのは、芸術の起源からしても無理なく繋がってくる。 無数の石積み―手数の重なりは、無数の行為、無数の供物に比され、細密な装飾模様や宝石、金箔、モザイク、色彩の配置にもつながる。絵画における細密な描写、重厚なマティエール、過剰な筆触、絵具の物質性、、、など単純に再現描写のためからのみ動機づけられない側面もある。造形的美学的な問題を離れて観た時、このような動機がいかに表現を発生させ、表現を支えてきているかよく理解できる。
 そのような感情はまた、何か他者に「畏敬」を感じ、未知なる領域と関わりをもつ、距離をはかろうと欲する、、、という石積みともつながっていく。
 そもそも制作とは何ものか―よくわからない領域や存在に、より近づくため、関係をもつため、知ろうとするために試行することでもあるだろう。真っ白なキャンバスもそのような画家が直面する畏敬に満ちたフィールドであって、そこにまずいくつかの―様々な布石を打つ―何らかの印となる筆致を置くところから制作がはじめられるだろう。小石を神社に置くのはもしかしたらそのようなところともつながってくるのではないだろうか。
 次に禍や穢れを祓うために石積みを行なうという場合ではどうだろう。
 石―絵具―作品という媒体に自己の無意識、欲動、ネガティブな感情、執着心、我執、などを憑依させ自分の外に具体的なものとして摘出―視覚化するという美術制作のある側面。子供の発達過程や精神病患者における絵画療法にも通じ、多かれ少なかれ作品づくりが精神的安定や心の成長に関わってくるところでもあり、やはり関わりが深いと考えられるだろう。ある意味で普段子供たちは「厄払い」をかねて絵を描いたりものをつくっているのである。
 次に、死後の世界とこの世の境を封じる。死体の腐乱を隠し、荒魂を封じるための石積みを美術の文脈で考えたらどうなるだろう。
 例えばジャックソン・ポロックの言葉に「イメージを隠したい」という意味のものがあったと記憶する。ある意味で生み出されたイメージ・形象は、出来上がったとたんすぐに死に近づき腐乱し遺跡化してしまう。それゆえイメージはそのつど刷新され新しい行為で上書きされ消され続けなければならないのかもしれない。消され続けながらたえず新しくイメージの気配が立ち上り続ける空間。森の核心部分は常に秘められ隠されていなければならない。隠されながらしかし隠されれば隠されるほどその吸引力は増し、隠されるに足るものになって行く。境界が封じられることでかえって境界の向こう側が保たれ続けることができる。ポロックの生み出した画面とはそういうところがある。なんらかの始原的な魔物を呼び出しつつ同時に覆い隠し封じ込めようとする。その上でその魔物と一心同体に共に繁茂していく画面。だからそこには「匂い」や「音」や「気配」がいつまでも充満し続けるのだ。
 逆にそれが「灯篭」や「地蔵」といった「型」を踏まえた―その「像」に対する石積みである場合どうだろう。
 それら既成の「像」に積まれた石積みは像を覆い、像を不鮮明に隠し、やがて被膜を形成するだろう。その結果、「像」は単なる既成の「型」―記号から、それ以上の何ものか―石が積まれるに足る何ものかへ育っていく。そもそも「生きていない」―死んだものとしての形象―記号が、石積みのおかげで「生きたもの」―具体的な存在、唯一無二の固有なものとなっていく。例えば長年塗り重ねられた神像。金箔がはり重ねられた仏像等にも通じるだろう。ルオーの強固なマティエール、ジャスパージョーンズの謎めいた「旗」。筆触の重層が「型」を別物に、死骸としての遺跡から、芳醇な形象へ変えて行く。
 さらに「いま・ここ」の存在証明としての石積み。
 既にある置かれた石に促されながらも、そこにあたらしく付け加える自分の行為。そしてその連続した終わりのない行為の連なり。因果律。現在進行形のシステムとしての地場。まさにポロックが床に置いた布の中に入って絵具をたらし続ける制作態度と呼応する。それは「制作」というよりもひとつの地場への「参与」であり、システムへの参加である。そのかかわりが深まれば深まるほどよりかかわるに足るものになっていく。ひとたらし、ひとたらしの際限の無い連なり。その生起し続ける因果律の束としての空間。閉じられた疑似コスモスではなく、具体的に包みこまれ体感するフィールドとしての空間。
 我々が身近に経験する「石積み」の習俗には、近・現代美術で自覚されていくことになる様々な資質が既に具現されていたのではないだろうか。
 そうしてさらに我々はこの石積みから何を学ぶべきだろうか。











[7] (無題)

投稿者: tek 投稿日:2017年 7月14日(金)12時39分21秒 56.66.239.49.rev.vmobile.jp  通報   返信・引用

主体は、他のシニフィアンに対する一つのシニフィアンによって表象されうるものである Un sujet c'est ce qui peut être représenté par un signifiant pour un autre signifiant。しかしこれは次の事実を探り当てる何ものかではないか。すなわち交換価値 valeur d'échange として、マルクスが解読したもの、つまり経済的現実において、問題の主体、交換価値の主体 le sujet de la valeur d'échange は何に対して表象されるのか? ーー使用価値 valeur d'usage である。

そしてこの裂け目のなかに既に生み出されたもの・落とされたものが、剰余価値 plus-valueと呼ばれるものである。この喪失 perte は、我々のレヴェルにおける重要性の核心である。

主体は己自身と同一化しえず、もはやたしかに享楽しえないne jouit plus 。何かが喪われているだ。それが剰余享楽plus de jouir (対象a)と呼ばれるものである。(ラカン、セミネ ールⅩⅥ、D'un Autre à l'autre, 13 Novembre 1968)



[6] (無題)

投稿者: tek 投稿日:2017年 7月14日(金)12時30分1秒 56.66.239.49.rev.vmobile.jp  通報   返信・引用

……ラカンの公式、《シニフィアンは他のシニフィアンに対して主体を表象する Le signifiant, c'est ce qui représente le sujet pour un autre signifiant 》。これは現代思想の偉大なブレイク スルーだった。…この概念化にとって、再現前(表象 representation)は、「現前の現前 presentation of presentation」、あるいは「ある状況の状態 the state of a situation」ではない。 そうではなく、むしろ「現前内部の現前 presentation within presentation」、あるいは「ある状 況内部の状態 state within a situation 」である。

この考え方において、「表象」はそれ自体無限であり、構成的に「非全体 pas-tout」(あるい は非決定的 non-conclusive)である。それはどんな対象も表象しない。思うがままの継続的な「無‐関係 un-relating 」を妨げはしない。…ここでは表象そのものが、それ自身に被さっ た「逸脱する過剰 wandering excess」である。すなわち、表象は、「過剰なものへの無限の滞留 infinite tarrying with the excess」である。それは、表象された対象、あるいは表象され ない対象から単純に湧きだす過剰ではない。そうではなく、この表象行為自体から生み出される過剰、あるいはそれ自身に内在的な「裂け目」、非一貫性から生み出される過剰である。現実界は、表象の外部の何か、表象を超えた何かではない。そうではなく、表象のまさに裂け目である。 (アレンカ・ジュパンチッチ2004“Alenka Zupancic、The Fifth Condition”2004)



[5] (無題)

投稿者: tek 投稿日:2017年 7月13日(木)13時06分34秒 14-133-116-127.nagoya1.commufa.jp  通報   返信・引用

人間存在は、すべてのものを、自分の不可分な単純さのなかに包み込んでいる世界の夜 Nacht der Weltであり、空無 leere Nichts である。人間は、無数の表象やイメージを内に持つ宝庫だが、この表象やイメージのうち一つも、人間の頭に、あるいは彼の眼前に現れることはない。この闇。幻影の表象に包まれた自然の内的な夜。この純粋自己 reines Selbst。こちらに血まみれの頭 blutiger Kopf が現れたかと思うと、あちらに不意に白い亡霊 weiße Gestalt が見え隠れする。一人の人間の眼のなかを覗き込むとき、この夜を垣間見る。その人間の眼のなかに、 われわれは夜を、どんどん恐ろしさを増す夜を、見出す。まさに世界の夜 Nacht der Welt がこのとき、われわれの現前に現れている。 (ヘーゲル『現実哲学』イエナ大学講義録草稿 Jenaer Realphilosophie 、1805-1806)

Der Mensch ist diese Nacht der Welt, dies leere Nichts, das alles in ihrer Einfachheit enthält, ein Reichtum unendlich vieler Vorstellungen, Bilder deren keines ihm gerade einfällt oder die nicht als gegenwärtige sind. Dies ist die Nacht, das Innere der Natur, das hier existiert ? reines Selbst. In phantasmagorischen Vorstellungen ist es ringsum Nacht; hier schießt dann ein blutiger Kopf, dort eine andere weiße Gestalt hervor und verschwinden ebenso. Diese Nacht erblickt man, wenn man dem Menschen ins Auge blickt ? in eine Nacht hinein, die furchtbar wird; es hängt die Nacht der Welt einem entgegen.(Hegel, Jenaer Realphilosophie, 1805/6)



[4] (無題)

投稿者: tek 投稿日:2017年 7月13日(木)09時17分57秒 255.212.49.163.rev.vmobile.jp  通報   返信・引用

言語とはもともと言語についての言語である。すなわち、言語は、たんなる差異体系(形式 体系・関係体系)なのではなく、自己言及的・自己関係的な、つまりそれ自身に対して差異的であるところの、差異体系なのだ。自己言及的(セルフリファレンシャル)な形式体系ある いは自己差異的(セルフディファレンシャル)な差異体系には、根拠がなく、中心がない。あ るいはニーチェがいうように多中心(多主観)的であり、ソシュールがいうように混沌かつ過剰である。ラング(形式体系)は、自己言及性の禁止においてある。( 柄谷行人「言語・数・ 貨幣」『内省と遡行』所収、1985 年)



[3] (無題)

投稿者: tek 投稿日:2017年 7月12日(水)21時51分45秒 14-133-116-127.nagoya1.commufa.jp  通報   返信・引用

無時間的なものの起源は、胎内で共有した時間、母子が呼応しあった一〇カ月であろう。生物的にみて、動く自由度の低いものほど、化学的その他の物質的コミュニケーション手段が発達しているということがある。植物や動物でもサンゴなどである。胎児もその中に入らないだろうか。生まれて後でさえ、私たちの意識はわずかに味覚・嗅覚をキャッチしているにすぎないけれども、無意識的にはさまざまなフェロモンが働いている。特にフェロモンの強い「リーダー」による同宿女性の月経周期の同期化は有名である。その人の汗を鼻の下にぬるだけでよい。これは万葉集東歌に残る「歌垣」の集団的な性の饗宴などのために必要な条件だっただろう。多くの動物には性周期の同期化のほうがふつうである。( ……)

胎内はバイオスフェア(生物圏)の原型だ。母子間にホルモンをはじめとするさまざまな微量物質が行き来して、相互に影響を与えあっていることは少しずつ知られてきた。( ……)味覚、嗅覚、触覚、圧覚などの世界の交歓は、言語から遠いため、私たちは単純なものと錯覚しがちである。それぞれの家に独自の匂いがあり、それぞれの人に独自の匂いがある。いかに鈍い人間でも結婚して一〇日たてば配偶者の匂いをそれと知るという意味の俗諺がある。 (中井久夫「母子の時間、父子の時間」『時のしずく』所収)



[2] (無題)

投稿者: tek 投稿日:2017年 7月12日(水)18時22分46秒 14-133-116-127.nagoya1.commufa.jp  通報   返信・引用

Impulsion(衝動) は、仏語の pulsion(欲動) に関係している。pulsion はフロイト用語の Triebeを翻訳したものである。だがクロソフスキーは、滅多にこの pulsion を使用しない。ニーチェ自身は、クロソフスキーが衝動という語で要約するものについて多様な語彙を使用しているーー、Triebe 欲動、Begierden 欲望、Instinke 本能、Machte 力・力能・権力、Krafte 勢力、Reixe, Impulse 衝迫・衝動、Leidenschaften 情熱、Gefiilen 感情、Afekte 情動、Pathos パトス等々。クロソフスキーにとって本質的な点は、これらの用語は、絶え間ない波動としての、魂の強度intensité 的状態を示していることである。(PIERRE KLOSSOWSKI,Nietzsche and the Vicious Circle Translated by Daniel W. Smith)



[1] 掲示板が完成しましたキラキラ

投稿者: teacup.運営 投稿日:2016年 2月23日(火)22時59分45秒 om126161043114.8.openmobile.ne.jp  通報   返信・引用

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